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飯野将人(ラーニング・アントレプレナーズ・ラボ)×鄭雄一・島岡未来子(SHI)

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コロナ禍で再認識した、医療・ヘルスケア領域におけるアントレプレナー教育の重要性

新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の発生以降、長期化するコロナ禍の中で、世界中がさまざまな問題に直面してきた。健康・医療分野において社会システムや技術の革新を起こすことができる人材の育成を目指し、公衆衛生学を基盤とした学際的な研究・教育活動を行う、神奈川県立保健福祉大学大学院ヘルスイノベーション研究科 (ヘルスイノベーションスクール)は、研究・教育機関、また神奈川県のシンクタンクとして、さまざまな角度からCOVID-19と向き合ってきた。また、COVID-19も契機に医療・ヘルスケア領域におけるイノベーションへの期待がますます高まる中、ビジネス創出スキル向上のための教育活動にもますます力を入れている。

 

今回、鼎談のゲストに招いたのは、ベンチャー投資に取り組む傍ら、リーンスタートアップの手法に関するレクチャー・講演活動を精力的に行い、ヘルスイノベーションスクールでもアントレプレナー教育に携わる、ラーニング・アントレプレナーズ・ラボの飯野将人氏。ヘルスイノベーションスクールの研究・教育活動およびシンクタンク、ビジネス創出拠点としての活動の展望について、意見を交わした。

 

COVID-19で再確認した「未病」研究の意義

:新型コロナウイルスの感染拡大以降、ヘルスイノベーションスクールでは「COVID-19に関連する研究推進」「神奈川県のシンクタンクとしての体制強化」「感染収束後の教育の検討」と、研究機関・教育機関・シンクタンクという各機能に応じた取り組みを進めてきました。

研究機関としては、現在、約10件のCOVID-19に関する研究が学内で進行しています。例えば「企業のCOVID-19に対する対策と従業員のメンタルヘルスに関する縦断調査」や、「音声解析アプリを用いたCOVID-19に対する不安やストレスの解析」など、COVID-19という大きな社会問題に対して、各教員の専門領域の立場から研究テーマを設定し、研究を進めています。

しかし、教員に対しては「COVID-19に関する研究をしてください」との指示・強制はしていません。むしろ、目先の状況にとらわれず、長期的な視座・視点で独自のテーマを追いかけることの重要性をあらためて実感しているところです。ヘルスイノベーションスクールは設立当初から、「未病」(※1)という新しい健康観を現実化していくことをビジョンに掲げてきました。COVID-19は「生活習慣病を持つ人ほど重症化しやすい」ことが後から分かってきて、「未病」との強い関連性が明らかになりました。このことからも、短期的な結果を追求したり、外部からの要請に都度応じることだけではなく、本校ならではの研究基盤や各教員独自の研究テーマを明確に持ちながら、その時々の社会状況も視野に入れて研究を進めていく、バランスが大切だと考えています。

 

※1 人生100年時代の新たな健康観として、黒岩祐治・神奈川県知事が提唱している。健康な状態と病気の間にある段階を指し、特定の病気になってから治療を開始するのではなく、普段の生活において心身の状態を整えて、より健康な状態に少しでも近づけることを「未病を治す」と言う。人々の健康寿命を延伸し、高齢になっても健康・幸せに暮らすことができる社会を実現することが、未病の取り組みのゴールである。

 

シンクタンクとしては、神奈川県からの相談に応えるべく、ニーズと研究者をマッチングしやすい体制を早々に整える必要性がありました。本校には「公衆衛生」「パンデミック」「臨床研究」「データ分析」など、さまざまな専門分野を持つ教員が所属しているので、各々の専門性を一覧化して、状況やニーズに応じて県からの要請・相談にスピーディかつ的確に対応できるよう整備しました。

教育機関としては、4月1日から授業をほぼ完全にオンライン化しましたが、感染収束後にいかなる形で授業を提供していくのか、まさに検討しているところです。今後は、オンラインと対面を組み合わせながら、新しい学びの形を模索していくことになると思います。

また、さっそくCOVID-19をテーマとして取り入れている授業もあります。その一つが、「アントレプレナーシップⅡ(ビジネスモデル仮説検証)」の授業です。

 

不平不満が隠れがちな医療現場。現場の生の声にヒントが。

島岡:ヘルスイノベーションスクールの特徴のひとつに、カリキュラムの中に「ビジネス創出」の力を身に付けるための実践的なプログラムを組み込んでいることが挙げられます。アントレプレナーシップ(※2)の授業は、「アイデア創出」と「ビジネスモデル仮説検証」の2フェーズで構成されています。まずは一年次の後期に、デザイン思考を用いた創造的なアイデアの出し方を学ぶ。その上で、二年次の前期に、アイデアをどのようにビジネスモデルに落とし込み、顧客を発見して、実際に事業化していくのかを学んでいくという流れです。

アントレプレナーシップ教育にはさまざまな技法・手法がありますが、その中に「リーンローンチパッド(※3)」という手法があり、飯野さんとラーニング・アントレプレナーズ・ラボ共同創業者の堤さんは、この分野の日本における第一人者です。私が早稲田大学でアントレプレナーシップ教育を導入する際にご一緒した経緯もあり、ヘルスイノベーションスクールでも、二年次の「アントレプレナーシップⅡ(ビジネスモデル仮説検証)」の授業で、お二人にご協力いただいています。

今期はCOVID-19を踏まえて、今だからこそ具現化したい新規事業のアイデアを、チーム毎に企画立案するワークショップを行いました。飯野先生には、スタートアップ企業特有の財務の考え方もご指導いただきながら、学生が出したアイデアの審査・講評をしていただきましたね。

 

※2 事業創造や新商品開発などに高い創造意欲を持ち、リスクに対しても積極的に挑戦していく姿勢や発想、能力などを指す企業家精神を意味する。
※3 シリコンバレーの著名な起業家であり、「顧客開発モデル」の発案者でもあるSteve Blank氏が開発した、新規事業創造の実践教育プログラム。仮説検証を繰り返しながら効率的に事業を立ち上げていく「リーンスタートアップ」を学ぶことができる。

 

飯野:リーンローンチパッドは、簡単に言ってしまえば「試行錯誤しましょう」ということ。不確実性の高い環境下で何かを進めるときには、理屈だけを捏ねていてもダメで、まず走り出すことが重要です。立ち上がれなくなるほどの“大怪我”を避け、擦り傷程度で収めながら、試行錯誤を繰り返すことで不確実性の霧を晴らしていく。それがリーンローンチパッドの手法です。

人の健康や命を預かる医療・ヘルスケアの領域と、「試行錯誤しましょう」という発想は馴染まない――そう感じる方も多いかもしれません。仕事において“失敗”が許されないからです。それに加えて職業意識も倫理観も高い方が従事しているがゆえに、現場に潜在的に存在している不平・不満や問題点を意識しづらい、言いづらいという実態があるかもしれませんね。

例えばCOVID-19によって、患者の苦しみはもちろんですが、それに加えて医療現場の従事者の過酷な勤務実態や、彼らの不平・不満がむき出しになってきているのは、健全な流れだと思います。そこには、医療という聖域にあって、外部からはなかなかリーチできなかった非合理性が隠れているかもしれない。アントレプレナーシップの観点から見ると、そうした「現場の生の声」にはビジネスチャンスがあるとも捉えられます。

 

島岡:現場の本音を聞き出し、それを仕組みや制度、製品・サービスとして実装して磨いていくことが、今の医療・ヘルスケア領域では特に求められていると思います。

ヘルスイノベーションスクールの母体である県立保健福祉大学には、「実践教育センター」という施設が附置されています。保健・医療・福祉分野の現場で働く専門職のために、次のステップへつながるリカレント教育(※4)を提供しています。

今年2月に、そこで堤さんと「現場の困りごとをお互いに聞き合って、その困りごとを解決する製品・サービスを考える」というデザイン思考のワークショップを行いました。すると、働くシフトに関する困りごとが複数件挙がったのです。それが現場の、偽らざる本当の困りごとだった。普段はなかなか見えてこない現場のニーズを知る、貴重な機会になりました。

 

※4 生涯にわたり、教育と就労を交互に繰り返すことでスキルを高め続ける教育制度。

 

飯野:職場ではない「学校」という場所だからこそ本音が出せたのかもしれませんね。

 

:課題解決やビジネス創出のヒントは、やはり現場にある。そういう意味で、フィールドでの、臨床研究の重要性もあらためて感じているところです。神奈川県、県立病院機構、ヘルスイノベーションスクールの三者でアライアンスを強化していくことで、神奈川県の持つ広く多様なフィールドを最大限に活用した臨床研究を積極的に行っていきたいです。

 

医療・ヘルスケア領域に求められるのは「いろんなダンスを踊れる人」

島岡:「アントレプレナーシップⅡ(ビジネスモデル仮説検証)」の授業では、3つのチームがCOVID-19に関連する事業提案を行いました。

一つ目のチームは、COVID-19などの市民からの問い合わせに、オペレーターや医療従事者が、対応時間を節約しながら効果的に対応できる、自治体向けクラウドベースのコールセンターソフトウェアを提案しました。二つ目のチームは、“Stay Home”中、子どもとの遊び方に悩む親向けに、さまざまな遊び方を保育士や他の親からの投稿動画という形で見られるアプリサービスを。三つ目のチームは、毎日使う鏡を介して、個人の健康状態をモニタリングおよび分析し、その人への推奨事項を提示する製品+サービスを提案しました。

ベンチャー投資経験が豊富な飯野先生の目に、学生たちのアイデアはどのように映ったでしょうか。

 

飯野:短期的な視点で「目の前のCOVID-19にどう対処するか」をテーマにした事業案が多かった、と思いました。私自身は“アフターコロナ”の時代は来ないと思っていて、たとえCOVID-19が収束・終息しても、今後、別の感染症が再び流行するかもしれない。単発的な解決策ではなく、社会基盤レベルでそうした感染症に対処する構造をつくるという中長期的な視点で、例えば「感染症対策と熱中症対策をどう両立するか」など、もっと現実的な「裾野」の領域に、たくさんのチャンスがあるのではと思いました。

また、率直に言うと「まだキレイごとを言っていないか?」という印象もありました。社会人経験のない学生が同じようなワークショップをやったときと比べ、今回の3チームは「自分が欲しいもの、好きなことを言おう」ではなく「正しいことを言おう」としていたように思えました。公衆衛生学を専攻していることもあるのか、もともと社会貢献の意識が高すぎて「キレイごと」にとらわれてしまう結果、イノベーションの妨げになってしまう可能性もあるかもしれないと思いました。

誤解を恐れずに言えば、「SDGs(※5)」起点で発想して、ロジカルシンキングでビジネスを組み立てたら、誰でも同じ答えに行き着いてしまいます。ビジネスは、もっと生々しい、実感を伴う「本音」を起点に生み出されるべきではないかなと思うのです。もちろん、その結果としてSDGs達成につながっていくのは理想的だと思うのですが。本音と建前が区別できないと、アントレプレナーシップを発揮するのは難しいと思います。

そうした中で、一つ目の、自治体向けクラウドベースのコールセンターソフトウェアを提案したチームは、実際のコールセンターでの困りごとから発想していて、今後アイデアを転がしていくことでビジネスになりそうだと思いました。コールセンターのソリューションとして、具体的に抜け落ちているところはどこか。医療・ヘルスケアの領域にとらわれすぎずに考えるといいのではないでしょうか。

 

※5 Sustainable Development Goals(持続可能な開発目標)。2015年9月の国連サミットで採択された「持続可能な開発のための2030アジェンダ」に記載された、2016年から2030年までの国際目標。持続可能な世界を実現するための17のゴール・169のターゲットから構成される。

 

島岡:なるほど……!今回の授業は約2カ月の短期間でビジネスモデルを考えるというワークショップだったので、今回身につけたベーシックな思考法をもとに、もっとアイデアを転がしていけるようにしていきたいですね。とにかくアイデアをたくさん出して、試行錯誤を何度も行い、数をこなすうちに光るものが出てくれば。

 

飯野:医療・ヘルスケアに関するあらゆる製品・サービスの対象は「人間」ですから、サイエンスの視点に偏らず、もっと「ヒューマン」に寄った発想や思考を重視すべきだと思います。今、医療・ヘルスケア領域にイノベーションを起こそうとしているベンチャー企業で、注目している企業がいくつかありますが、最先端の技術というよりは、「年配者の薬の飲み忘れをなくすにはどうしたらいいか?」や「医療をもっとエンターテインメント化できないか?」といった「いかにも」なハイテクではない領域、医療・ヘルスケアだけに閉じない領域にこそチャンスがあるように感じます。そうしたビジネスの芽を見つけ、育てていくためには、医療現場で長く勤めた人だけではなく、まったく違う専門領域からも、医療・ヘルスケア領域のイノベーションに挑戦する人が増えてほしいですね。

今、医療・ヘルスケア領域に求められている人材は「いろんなダンスを踊れる人」。例えば医療従事者なら、医療従事者としての踊りだけを極めるのではなく、医薬品・医療機器メーカーの人や、デザイン会社の人、商社の人など、違うリズムやステップで踊る人と一緒に踊る。最初は足がもつれるかもしれないけれど、そのうち2・3曲踊れるようになってくる。そこまでくれば、10曲踊れるようになるのに、そう時間はかからないんです。

 

島岡:そうした人材を育成するためにも、異なるバックグラウンドを持つ人との相互作用の中で、自分自身が変わっていくような経験を、ヘルスイノベーションスクールで少しでも提供していきたいと思います。今までの自分とは異なる発想をするために、新たな思考法に挑戦してみると、最初は違和感があっても、だんだん「このモードのときは、この思考法で」と切り替えられるようになってくる。それが今後、医療・ヘルスケア領域で活躍する上で、大きな武器になるはずです。思考の切り替えが上手くなるための相互作用の経験を、グループワークやフィールドワークのような形で、どんどん提供していきたいですね。

 

飯野:医療・ヘルスケア領域は、その性質上、他の領域と比べて「失敗への恐怖」がどうしても大きくなりがちで、前例のないことに取り組みづらいし、これまでのやり方にメスを入れるのが難しい傾向が強い。

ただ、今後は「サービスプロバイダー」としての意識も大事になってくるはずです。例えば今、「(過酷な環境下でコロナに向き合う)医療従事者を守ろう」ということが言われていますが、そもそも「楽できるところは楽をして、頭脳明晰な状態でサービス提供できるようにしておくことが、サービスプロバイダーとして取るべきリスクヘッジである」という視点があれば、先ほどの「自分の体調に合わせて自由にシフトを組めないのはおかしい」という発想は普通に出てくるはずなのです。

 

島岡:イノベーションを起こすためには、生身の人間としての本音が重要であり、失敗を恐れずに言ってみる・やってみるマインドが必要だということですね。もちろん医療・ヘルスケアの現場で、24時間365日、いつでもそのモードでいられるわけではないけれど、モードによって思考や行動を切り替えられるような人材を育てていくための教育プログラムを増やしていきたいです。

 

ヘルスイノベーションスクールは“ベンチャー”でありたい

:アントレプレナーシップの授業をはじめとして、短期的な課題解決だけにとらわれず、長期的な視点で医療・ヘルスケア領域に向き合い、イノベーションを起こせる人材を育てていきたい。

国から要請されることは、その時点で、ある意味「すでに古くなっている」ので、私たちは、その次の、まだ表面化・顕在化していない問題を常に探し、掘り当てていく必要があります。そのためには、多様な研究者たちが、自らの専門分野を持ち、長期的な視点で研究・教育を続けていくことが非常に重要です。

 

島岡:公衆衛生学に根差した基本的な学びを網羅することと、ヘルス“イノベーション”という、変化を起こすような尖った思考を身に付けること。このスクールの特長は、その両方を求める点にあると思います。双方を掛け合わせることによって、国内にとどまらずグローバルな規模で、医療・ヘルスケア領域と未来の社会にイノベーションをもたらしていくポテンシャルを持っているはずです。

 

飯野:ヘルスイノベーションスクール自体が、“ベンチャー”なんですね。

 

島岡:そのとおりです。今回の鼎談を通して、このベンチャーカルチャーを今後も継続していかねばと意識を新たにしました。

 

飯野:鄭先生がおっしゃったとおり、誰かが「これが必要だ」と言った時点で、その物事はある意味、すでに“終わっている”と言っていい。まだ言葉になっていない、満たされざるニーズを見つけ出し、それをビジネス化することにこそ価値があります。私は、そういう企業・事業に積極的に投資していきたいと考えています。

 

:飯野先生がおっしゃる“アンノウンニーズ”の発見からビジネスモデル構築、そして事業化までの道筋を、ヘルスイノベーションスクールでつくっていけたらと思います。

 

※インタビュー時に三者およびインタビューアーの間に十分な距離をとるなど、新型コロナウイルス感染症対策を適切に講じた上で、取材・撮影を実施しています。

 

PROFILE

飯野 将人氏

ラーニング・アントレプレナーズ・ラボ株式会社 代表取締役。大手金融機関、米国コングロマリットといった大企業勤務、VCにおけるベンチャー投資に取り組む傍ら、自ら日米複数のスタートアップの経営に参画。「顧客開発モデル」を中心とした講演・レクチャーを精力的に行い、2014年にラーニング・アントレプレナーズ・ラボ株式会社を堤 孝志と共同設立。東京大学法学部卒。米国ハーバード大学経営大学院修了。訳書に『スタートアップ・マニュアル』(翔泳社)、『リーン顧客開発』(オライリー・ジャパン)、『クリーンテック革命』(ファーストプレス)など。

鄭 雄一

東京大学大学院 工学系研究科・医学系研究科 教授/COI副機構長 平成31年4月より神奈川県立保健福祉大学ヘルスイノベーション研究科長を兼任(クロスアポイントメント)。神奈川県立保健福祉大学では、未病コンセプトの社会実装のための体系化と学問化に取り組んでいる。

島岡 未来子

国際NGOで管理職を経験後、(公財)地球環境戦略研究機関(IGES)「ガバナンスと能力グループ」特任研究員、早稲田大学商学学術院WBS研究センター助手、研究戦略センター准教授を経て、現在、神奈川県立保健福祉大学ヘルスイノベーションスクール教授/早稲田大学政治経済学術院教授(公共経営専攻)のジョイントアポイントメント。

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